Feb 02, 2011

事業資金を融資する金融機関

金融機関は、事業資金の融資の低迷に陥っているようだ。よくよく話を聞くと、保証協会枠がいっぱいになっているところが増えてきているということだ。は、中小零細企業は、プロパエソ事業資金を融資できないとするのと同じことを考えた。その事業資金の融資は、成長のないものだと考えている。
まだ社会人として若い頃、自分でこのような会社の設立を目指すんだなという思いがあった。自分はIT関係のヘルプデスク長年の経験をしているので、複数の社内ヘルプデスク業務を下請けしているコールセンターの運用会社の設立を本気で夢見ていたが、夢と現実は大きくかけ離れてしまって、自分の思うような進路では受けることができなかった。も人生まだまだこれからも遅くはない。
 ◇家族の強い絆 夢を後押し
 昨年、各地で相次いだ児童虐待事件や高齢者の所在不明。社会集団の最小単位である家族の絆が細く、薄くなりつつある。しかし、いつの時代にも、親の夢を受け継ぐ子の姿、子の夢を後押しする親の姿があり、それが社会や一人ひとりの人生に、つながりや広がりを与えてきた。同じ道、あるいは別々の道を歩む、現代の親と子の絆の物語をつづりたい。まずは、スポーツの世界で飛躍を誓う3組の親子から−−。
 ◇信頼でジャンプ
 ●ノルディックスキー●
 ジャンプ台を滑走する小さな体が、空中に鋭く飛び出す。風を切り裂く音。猛スピードで通り過ぎる風景。スキー板の黄緑とジャンプスーツの紺色が、真っ白な背景に浮かび上がる−−。
 ノルディックスキー・ジャンプ選手の下川商業高1年、伊藤有希(ゆうき)さん(16)。寝室の天井には「オリンピックで金メダル!!」とフェルトペンで書いた紙が貼ってある。女子ジャンプは、14年ソチ五輪での正式種目採用が有力だ。手が届く所に近づいた夢。それは、日本の低迷期に現役生活を送ったコーチの父克彦さん(43)が果たせなかった夢でもある。
   *  *
 初めての「ジャンプ」を、有希さんは覚えている。4歳の時、克彦さんと行った地元・下川町のスキー場で、こぶを乗り越える遊びに飽きたらず、一番小さい5メートルの台から滑り降りた。尻餅ばかりだったが、空を飛ぶ感覚に夢中になった。帰りたくなくて、何度も繰り返した。
 遊び感覚でジャンプを続けていた12歳の夏、克彦さんがコーチをする少年団の札幌遠征に同行し、道内で最も大きい大倉山のラージヒルを飛ぶ機会をもらった。日本最年少での挑戦。恐怖心はなく「ふわふわ浮いてる感じがした」。翌年1月、大倉山で再び、父の眼前で130メートルの大ジャンプを披露。克彦さんは「ひやっとするくらい、ひらひらと飛んでいった」と振り返る。
 快進撃が始まった。その年3月の国際大会コンチネンタルカップ札幌大会では、大会史上最年少で3位に入賞。国内大会でも優勝し、翌シーズンから海外遠征に加わった。「スーパー中学生」。そう呼ばれるようになった。
   *  *
 克彦さんもノルディックスキーの選手だった。8歳からジャンプを始め、強豪の東海大四高(札幌市)へ進学。監督の勧めで、競技人口の少ないクロスカントリーとの複合(コンバインド)に転向した。
 札幌の実業団に所属していた88、89年にはワールドカップに出場。92年アルベールビル五輪で金メダルを取った荻原健司さんらが、彗星(すいせい)のように登場する前だ。日本の複合は世界に通用するレベルではなく、成績は振るわなかった。
 その後は仕事と練習の両立に悩み、91年に会社から引退をほのめかされた。年齢的にも実力的にも、現役続行は無理だった。「二度とスキーには関わらないだろう」。帰郷し、町から打診されたコーチの就任も断った。
 だが、町はスキー人口の減少に悩んでいた。高校スキー部は休部状態で、設備があっても指導者がいない。「経験を子供たちに伝えられるなら」。有希さんが生まれた年、少年団のコーチを引き受けた。
   *  *
 華々しいデビューの後、有希さんは不調に悩んだ。海外で目の当たりにしたライバルの強さ。「楽しいだけでは飛べない」と考えるほど、飛び方が分からなくなった。遠征から帰っては泣いていたが、初開催される世界選手権の切符を懸けた09年の国内大会で、父から受けた技術的なアドバイスだけを信じて飛び、優勝。気持ちが吹っ切れた。「余計なことを考えない。そして何よりジャンプを楽しむことが大事なんだ」
 平日は体力・筋力作り、休日はジャンプ台で練習に明け暮れるが、家に帰ると克彦さんはスキーの話をほとんどしない。「逃げ場がなくなると、楽しいという気持ちを失ってしまう」と考えるからだ。それに、世界で戦うには、周囲に頼らず選手として自立していなければ−−。親心とコーチとしての信念が混ざり合う。
 その思いは、娘にも届く。「競技をできるのは、これまで先輩が道を開いてくれたおかげ」と有希さん。国内第一人者として活躍してきた山田いずみさん(32)は、彼女を「周りに気配りができる、しっかりした選手」と評する。
 昨年12月18日、名寄町であった国内開幕戦で有希さんは3位に入り、表彰台で笑顔を見せた。「もう少し飛び出しのタイミングを合わせられれば、もっと成績はよくなると思う」。3年後の五輪に向け、父娘はさらなる飛躍を目指す。【坂井友子】=つづく
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 ■ことば
 ◇スキージャンプ女子
 男子と同じジャンプ台、同じルールで行われる。99年に初の国際大会が欧州で開かれ、日本では01年に全日本女子チームが結成された。国内の競技人口は約30人だが、昨年の国際大会コンチネンタルカップではサマージャンプの総合10位以内に3人が入り、実力は世界レベル。伊藤選手は総合5位だった。来シーズンからワールドカップも始まり、14年ソチ五輪での初採用が今春にも決まる見通しだ。

1月1日朝刊

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